2001年・8月17日
日本列島に向けて鈍進中であった超大型台風・台風11号が、
日本の遥か南方で進行方向を東寄りに変えた。
2001年・8月18日
和歌山遠征キャンプ(1日目)
少々不安は残る物の、気休めに取りあえずのノートパソコンとピッチを積込み
兼ねてより計画していた。和歌山県遠征キャンプ計画を発動。
早朝4:00、予定より30分遅れての出発となった。
AM 6:15分発の徳島→和歌山 南海フェリーに乗る予定なのだが、
乗船手続きや、車両乗り込みなどを考えると、30分位前
遅くともAM5:45分くらいには徳島港に到着しておきたい。
徳島港のフェリー乗り場へは行ったことが無い。
間にあうのか少し不安である。
少々迷いながらも、何とかAM5:30徳島港フェリー乗り場 到着。
南海フェリー”つるぎ”へ乗り込む。一安心である。
これから2時間の船の旅、私にとっては今日最後の休息の一時です。
幕の内食べて、一眠り。 (^.^;
AM 8:15 和歌山港到着。
これから一気に那智勝浦へ向けて爆走します。
途中。
串本海中公園マリンパビリオンにて。
←
この後、いたるところで
”ウツボの小明石煮”なる
コイツの変わり果てた姿の
土産物に出会うこととなる。(^.^;
味は、なんかお菓子のようでしたが、
ビールのおつまみなんかには
いいんじゃないかと思いました。
←これがその小明石煮。(^.^;
半潜水艇型のグラスボートに乗る予定だったが、波が高く決行との事。 残念!
気を取り直し、せっかくなので本州最南端 ”潮の岬” へ。
潮の岬灯台から眺めた太平洋。
この時点では、風は少し吹いていたものの、
それ程波はなかった。
本州最南端 串本町の名物といえば、潮の岬灯台と並び
奇岩の名勝
”橋杭岩”
です。
弘法大師と、天邪鬼の騙し合いから産まれたと言われる奇岩郡。
橋杭岩のすぐ前にある うどん屋さん”はし杭” 手打ちでなかなかに美味しい。
うどん屋”はし杭”で食べた、名物 めはり鮨(左下)と、秋刀魚鮨(右下)。
めはり鮨は、醤油などで味付けした高菜の漬物でご飯を包んだだけの物で、
どちらかと言うと おにぎり といった味わいでした。。
秋刀魚鮨は、思うに”秋刀魚の早なれ鮨”だと思います。
こちらは、適度に脂が乗っていて、かなり美味しかった。
橋杭岩展望所で売っていた”イカの一日干”。
おばちゃん二人が売っていたのだが
味付けが良いのか、それとも素材のイカが良いのか
ココの一日干の美味しかったこと、お勧めです。
勝浦と言えば、ホテル浦島。と言われるほど有名な
半島をそっくりホテルにしてしまった大規模リゾート温泉ホテル。
その数ある温泉の中でも最も有名なのが、その昔、紀州藩主が
そのあまりの気持ち良さと絶景に帰るのを忘れてしまうと言った事から
その名が付いたといわれる。 ”忘帰洞” 。
その忘帰洞へ、温泉に浸かりにやってきました。
忘帰洞へは、連絡線で渡ります。(陸路は無い。)
半島をくり貫いた通路をつたい、忘帰洞へ。 温泉なのに入り口には、高波注意の張り紙が..。(^.^;
念願の忘帰洞に浸かり、後は今夜の夕食用に地の食材を調達に。
地元のスーパーマーケットで、見つけた
”ゴンド干”
なる肉の干物。
名前から察するに、ゴンドウ鯨の塩干しだと思うのですが
¥330と言うのは、やはり鯨のメッカ南紀勝浦ならではでしょう。
味の方はやはり鯨系の匂いが強く、少しクセが有りました。
この他にも、”バンドウイルカはらみ”(生)も有りましたが、
あのフリッパーを思い出してしまい購入までには至りませんでした。(^.^;
今夜は、
グリーンピア南紀
にてキャンプする事になっています。
忘帰洞へ行く前に既にベースの設営は終えているので、
あとは夕食後、眠るだけ。
今回のキャンプ中、私にとってはこの日が一番の山場でした。(^.^;
後は、寄り道しながら元来た道を戻るだけです。
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想 は、
こちらまで。